HOME (アーカイブ)
| 1 | 2 | Next»
11/30
 番外霊場 鎌大師 / お遍路さん
四国・愛媛・今治市にある花へんろ一番札所。

この鎌大師は、早坂暁脚本のNHKテレビドラマ、「花へんろ」で、重要な舞台となったのだそうだ。
その時、鎌大師の庵主をされていたのが手束妙絹尼(現在は引退されている)である。どんなドラマだったのか、残念ながら僕は見たことがない。妙絹尼さんの事は歩き遍路に出るまでは、全然知らない人であり花へんろという言葉は何となく聞いた事がある程度のものであった。

四年前の夏、鎌大師に早朝五時半に到着。あたりが明るくなってきた頃大師堂でお参りをして、次に向かう準備をしていると一人のご婦人(庵主さんのお世話をしている)が自転車でやってこられ「おはようございます。お遍路さん、もうお参りは済みましたか?」と聞かれたので僕は「はい」と答え、「そうですか、庵主さんには会われましたか?」とまた聞かれましたので僕は「いいえ、庵主さんはおられるのですか?」と聞き返しました。

実は鎌大師に来る前日、郵便局に立ち寄った時、今、鎌大師に行っても庵主さん(当時93歳)は体調を悪くして入院をしているから留守だと聞いていたのです。だから留守だと思っておりましたから、びっくりしたと同時に庵主さんに会えるという嬉しさで胸が一杯になりました。

そしてご婦人が大師堂の中へ案内してくれ、庵主さんがお見えになり朝のお勤めを3人で一緒にさせていただきました。結局、僕は二時間余り妙絹尼に色々なお話を聞かせてもらい、楽しい時間を過ごす事ができてとても幸せでした。

その時の言葉で「人間死んだらカルシユウムや、そのあたりに蒔いてくれたらええ」
という言葉がなぜか一番印象に残っています。

鎌大師でもうひとつ話があります。それは僕が納経も終わりその場所から次に出発をするために自分のリュックを置いてあるベンチに戻った時、「あっ」と声にはならなかったけど心で叫んだ、なんと僕のリュックの上に丁寧にハンカチを置いて、又その上に百円玉を二個、そっと置いてあったのだ。これはここまで歩いて遍路をしてきた人間でないとなかなか理解でないと思いますが、僕はその場で号泣しました。

今でもその時の事を思い出すたびに涙が出ます。人のやさしさ、おもいやり、ありがたさ、暖かさ一杯一杯感じ感動させていただきました。
本当に本当にありがとうござました。


お坊さん         柳水庵
                             手束 妙絹尼(自筆のサイン) 合掌〜

お接待で頂いた妙絹尼著「人生は路上にあり」の中に
「お大師の道で一度出会った者は、必ず再び三度めぐりあう事ができる。」
という事が書いてあります。


この記事にコメント:

Name: Mail/URL:
情報を記憶しておく

04/27
 第六話 柳水庵 / お遍路さん
 この頃、辺りは薄暗くなっていた。心地よいオカリナの音色に元気を頂いてスタートを切った。明日は雨、できる限り進もうと歩きだしたが10分も立たないうちに歩けなくなった。それは坂道の勾配がきつくなったのと、すでに私の体力は限界点に来ていた為だった。辺りは暗闇になっていたため各人が懐中電灯を準備する。空腹を満たす為に昼間、お婆ちゃんからお接待で頂いた大きいみかん(多分夏みかんだと思う) 3個を分配して食べ、真っ暗闇の遍路道を懐中電灯で足元を照らしながら登り始める。

 ところが又10分もしない内に歩けなくなる。一緒に歩いている京都のお坊さん達二人に迷惑をかけるので、「ここで野宿しますから、どうぞ先へ行って下さい。」と、するとお坊さんは 「気にしないで、少し休みましょう。」 と言って励ましてくれる。5分休んで又歩き始める。しかし、5分位歩くと歩けなくなる。何回も何回もその繰り返し、そして、その度に 「少し休みましょう」 とやさしく声をかけてくれた。お坊さん達はその日の内に焼山寺まで行く予定を、私が同行したばっかりに足を引っ張り、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 その内傾斜がゆるくなり、平坦、下り坂になって何とか休まず歩いて行くと屋根のある建物にたどり着いた。午後8時半ごろだった。お坊さん達はここで野宿する。私もそのつもりでいたが 「あなたはかなり疲れているから、少し先にある柳水庵に泊まった方がいい。」 と気を使ってくれる。柳水庵とは、歩き遍路の間では有名なところで1日、三組だけ宿泊可能な庵で老夫婦がやっている。(現在は高齢、体調不良でやっていないそうだが)
三人でとにかく柳水庵まで行き、宿泊可能かどうか聞いてみたが、今日はもう予約客で一杯だと断られた。私は少し落ち込んだが、すぐに 「明日は雨のようなので、すいません軒先でもいいですから雨に打たれないところはないでしょうか」 と聞く。 「ちょっと聞いてみます。」 と奥へ消えた。

 やがて玄関の扉が開き 「納屋で良かったら」 と通される。しかし、物がたくさん置いてあって泊まれそうにない。 「では風呂の脱衣場ではどうか」 と尋ねられ納屋手前の木造小屋にある風呂場へ案内された。木戸を開けると、ほんわりと暖かい空気の中、人一人が横になれる位の板場があった。 「泊まり客は皆、もうお風呂を終わっていますから、ここで良かったら」 という言葉に、 「ありがとうございます。ここで休ませて頂きます。」 と手を合わせた。その上、 「残り湯が有りますから、足など洗って疲れをとってもいいですよ。」 とまで云ってくれて本当にありがたかった。おまけに明日の朝食の心配もしてもらった。

 荷物を置き表へ出ると、一緒に歩いてくれたお坊さん達が 「夕食ないでしょう。沢山は無いですが少しおすそ分けします。」 と言ってソーセージ一本とパン一個を分けていただいた。

・・・つづく


お坊さん   柳水庵
      お坊さんのまわりにオーブが・・・          柳水庵にて

この記事にコメント:

Name: Mail/URL:
情報を記憶しておく

03/16
 第五話 遍路ころがし / お遍路さん
 長らく掲載できず、ご覧頂いた方をがっかりさせて申し訳ありませんでした。
 私の勝手な都合ですが、1番ごとに記憶をたどり詳細に事実を書きとめるのは、とても型苦しくペンが進みませんでした。
 そこで今回から掲載方法を勝手ながら変更させていただきます。思い出深い出来事、又印象に残った出会いなどをランダムに掲載していく事をお許し下さい。

----------------------------------------------------------------

 という事で、今回は四国八十八ヶ所の中でも、歩き遍路にとってはもっとも過酷な 「遍路ころがし」 がある十一番札所・藤井寺から十二番札所・焼山寺までの体験を書きます。
 まず 「遍路ころがし」 というのはお遍路さんが転げ落ちる位、きつい坂道という意味であります。その山道、私はある程度、覚悟をして挑んだつもりでした。
 当初は、前日に藤井寺近辺で泊まり、体をゆっくり休養させて明朝一番で焼山寺へ出発する予定でいました。

 ところが、歩き遍路に出発して2日目、約28km歩いて藤井寺に午後四時に到着、納経を済ませ今夜の宿は道中におばちゃんから教えてもらった善根宿でゆっくり過ごすつもりでいました。ところが道中何度もお逢いしていた京都から来られているお坊さんとお連れさんに再びお逢いし、色々と話をしていると、どうやら天気予報で明日は雨だから二人は今から焼山寺へ登るの事。

 そして 「あなたはどうしますか?」 と尋ねられ、一瞬とまどう。
私の体は1日のエネルギーの80%以上を消費していて、今から最難関の 「遍路ころがし」 を行くなんて無理だろうと思う気持ち、登りを一層きつくするだろう雨。
 結局、悩んだ末、 「いける所まで行く。」 という結論を出し午後5時に三人+外国の方(飛び入り参加)で藤井寺を出発。私には夕食の準備も非常食も無い状態での出発となった。

 登りはじめは、まだ辺りは明るく体力も少し残っているので急な坂道ではあったが何とか長戸庵までは皆さんにさほど迷惑をかけずに来る事ができた。
 長戸庵に着くと同時に私は大の字になって休んだ。暫く休んで出発する。ここで外国の方は野宿するとの事。私達の出発にさいしてオカリナを吹いて見送ってくれた。
 この頃、辺りは薄暗くなっていた・・・

この記事にコメント:

Name: Mail/URL:
情報を記憶しておく

12/21
 第四話 出発ち / お遍路さん
 5月2日出発の日、昨夜は午前2時には床に就くも不安と期待とで、ぐるぐる思いをめぐらせ殆ど睡眠はとれなかった。それでも 「いざ出発」 早朝JR丸亀駅に向かう、どきどきしながら電車を待ち、 「もう忘れ物はないはずだ、準備は万端だと」 自分に言い聞かせ、到着したJR高松行きに乗車。

 これで、もう引き返すわけにはいかないと思った瞬間 「あっ携帯電話」 やっぱり何かあると思ったら案の定だった。結局、次の駅で一端下車。
情けない事ですが妻に頼み携帯電話を持ってきてもらう羽目に・・・。
10時過ぎには一番札所霊山寺に近いJR坂東駅に到着する予定だったが2時間あまり到着が遅れる事となる。

 JR坂東駅に到着する迄の車中ではまたもや不安が出てきて 「次の駅で降りて帰ろう」 「私には、やっぱり無理だ」 外の景色を見ながら、だんだんと目的地に近づいてくるにつれて 「次で降りて帰ろう」 と何十回となく心の中で葛藤を繰り返した。そして、とうとう板東駅に来てしまった。ここに至っても往生際が悪く 「次の列車が着たらそれに乗って帰えればいい」 と自分自身に納得させて下車。

 板東駅は無人駅でとりあえずベンチにリュックを置き、次の列車は来ないのかなぁーなんて事を思いながら待っていると70歳前後のお婆ちゃんが来て、私を見るなり 「お遍路さん今から参られるのかね。ご苦労さんです。」 とかいきなり言われたものだから、思わず 「はい。」 と答えてしまった。

 「はい。」 と答えてしまった以上、じっとしているのもおかしいのでとりあえずリュックから白衣を取り出し、それを羽織ったり、トイレに行ったりして時間を潰した。
その内、お婆ちゃんはどっかへ行くだろう、その後で列車が来たらそれに乗ればいいと思った。

 でもトイレから戻ってきてもお婆ちゃんはいた。(あーもう駄目だ。) 仕方なく、ゆっくりと出発準備をする 。そしてお婆ちゃんに 「すいません。一番札所の霊山寺には、どう行けばいいのですか?」 と質問し、とにかく一番までは行こうと思い 歩き遍路としての一歩を踏み出しスタートする。

菅笠
   最初は大きすぎて邪物扱いにしていたが、色々と道中で私を助けてくれた菅笠
   感謝!! 感謝!! 感謝!!

この記事にコメント:

Name: Mail/URL:
情報を記憶しておく

11/16
 第三話 決意 / お遍路さん
 前回には歩き遍路に必要な用品、道具の話をしました。そして今回から、いよいよ本題に入っていきます。それでは、はじまりはじまり・・・

 歩いて四国八十八ヶ所を巡礼することを決めた時からその気持ちが決意に変わるまでには不安と後悔の連続でした。なにせ身長175cm体重86kg、運動不足、年齢49歳。
そして野宿をしながら歩く事への不安。寝るところは?マムシは?崖から落ちたら?と次から次へと不安材料が出てくる。

 それらの不安を取り除く為にだれかに相談しようと思い、色々な人達に聞いてはみたが、私の周りには四国巡礼を巡った人は地元だけに山ほどいるのに、歩いて巡った人は一人もいなかった。その中で思いついたのが体験談を綴った本を読む事だった。
早速、私は図書館へ行き遍路関係の本を10冊ほど借りてきて読み漁った・・・。
読み漁った・・・。読み漁った・・・。

 それでも、私の不安は消えなかった。なぜなら、役立つ本がほとんどなかったからである。そのほとんどは、民宿、旅館、宿坊に泊まって巡る体験談だったのだ。ただ、唯一 野宿をつづった本があった。もっとも、これもさほど詳しくはなかった。しかし、野宿のイメージはつかむ事ができた。これは非常に助かった。「私でもいけるかも」という自信が芽生えてきたのもこの時だった。

「四国遍路ひとり歩き同行二人」別冊(地図)
 写真は風雪に耐えた「四国遍路ひとり歩き
 同行二人」別冊(地図)

 そして出発を五月の連休に決め、自分の不安を取り除くあらゆる携行品の準備にかかった。野宿のためテントもリュックに詰め、設営の練習も行った。そうこうしているうちに荷物の総重量はどんどん増え18kgくらいまでになった。
 これは困ったと思っていたところ 「四国遍路ひとり歩き同行二人」(へんろみち保存協力会発行)が善通寺総本山で販売されているという情報を入手。すぐさま購入しガイドブックを読み、携行品に無駄なものが多くあることを知り、かなり荷物を減らす事ができた。最終的に13kgになり助かった。これが出発前日の事であった。そして5月2日、いよいよ出発の日を迎えたのです。



この記事にコメント:

Name: Mail/URL:
情報を記憶しておく

| 1 | 2 | Next»