丸亀市域の神社奉納絵馬調査

絵馬の数 絵馬の形状 絵馬の時代 絵馬の種類 絵馬の図柄 絵馬の画家 絵馬の書家 俳句額

歴史博物館の資料調査の一環として、丸亀市内の神社の絵馬悉皆調査(写真撮影)を実施したので概要を報告する。
 絵馬は元来、生きた馬を奉納していたのが馬形・彫馬となり、更に絵の馬に転じたと言われている。祈願用の馬絵の絵馬は、既に奈良時代から知られており、神社のみならず仏寺にも及び、京都清水寺に奉納された元信の筆と伝えられる馬と猿、平泉の中尊寺の金蒔絵の絵馬の例が見られる (天理参考館『絵馬集(1)』)。
 その後、「信仰諸尊像図の絵馬・風俗図・伝説・歴史画・武者絵」などが現れ、更に、祈願の内容により、航海安全の「船絵馬」、産業発展を祈る「商店・農耕・茶摘・染物」や武術・芸能・学問の上達を祈る絵馬等多彩な内容のものが見られるようになったが、区別することなく、全部絵馬として扱われてきた。
 本調査ではこれ以外にも「社名額」とか、「奉納物」と見られる物も、絵馬と並べて掲げられている物は含めて絵馬として扱った。
 調査期間は平成8年2月8日から同年7月25日までであり、調査神社は、丸亀市内の神社のうち、本殿のみの小社を除き、拝殿を持つ神社(『丸亀市神社名鑑』による)の75社を対象とし、そのうち絵馬を保有する神社の42社(対象神社の56%)とした。

(1)絵馬の数
 調査絵馬数は、調査42社で保有していた325点で、1社当りの算術平均は7.7点であった
(表1参照)。42社のうちその約半分の20社は保有点数が5点以下であり、保有点数が15点以下の神社が42社中、36社(全体の85%)であった。保有点数の多いのは、金倉町の八十主神社の29点、土器町の田潮八幡神社の29点、中津町の八幡神社の22点であった。

(2)絵馬の形状                                  
 絵馬はその殆どが四角形で、正方形の物は一辺が120センチのもの1点のみであり、矩形で横長の物が251点(77%)で大部分を占めていた。縦長の物は69点(21.5%)で、四角形以外の物が4点あった。(表2参照)。

(3)絵馬の時代
 絵馬の時代別点数は(表3)に示すとおりで、325点の絵馬のうち、奉納年が判別されたのは
227点で、全体の70%であった。そのうち、明治時代の物が110点(48%)と多く、次いで昭和の
53点(23%)であった。
江戸時代の物も48点(21%)あり、一番古いのは天明期(1785頃)広島町の塩竃神社へ奉納された4点の「船絵馬」であり、「馬絵馬」では寛政4年(1792)山北八幡神社に奉納された「献馬図」であった。

(4)絵馬の種類
 絵馬の種類別点数は(表4)に示すとおりで、絵馬を絵・書・句・その他に分けてその数を見ると、
絵が63%の205点、書が42点(13%)、俳句が13点(4%)、その他が65点(20%)となっていた。
 その他には写真・面・手芸品・瓦製品・鉄砲の的・算額・役音名一覧・飛行機のプロペラ・船模型・
自然物(石・貝・茸・角)・欄間等が含まれる。

(5)絵馬の図柄
 調査した325点の絵馬のうち、絵の描かれている205点について、絵の内容を馬・祈願・故事・生物風景・船・その他に分けてみると(表5)のとおりで、馬は10点、祈願が34点(17%)、故事・昔話が88点(43%)、生物風景が24点(12%)、船が26点(13%)、その他が23点(10%)となった。
その他には、戦争・武術・火事と解釈不明の物が含まれる。

@馬絵馬
  「馬絵馬」としては、寛政4年(1792)京極高中侯が山北八幡神社に奉納された「献馬図」が、
年代も画家(狩野洞琳)も筆者(親孝)も明らかで、絵も鮮明である。この絵は「青毛」(黒)の馬が描かれている。丸亀市内ではないが、高中侯の奉納した「献馬図」は金刀比羅宮と善通寺市の石神社・観音寺市の琴弾公園に残っている。その他本調査では、手島町の八幡神社と東照神社に嘉永3年(1850)奉献の「白馬」の絵馬を認めている。
 明治時代に入るが八十主神社の「繋ぎ馬」3点も津森天神社の「献馬図」も全て白馬(月毛か葦毛)である。時代に関係があるのかどうかは分からないが、大正時代に描かれた飯野町の伊勢神社の1点と、昭和時代に描かれた、山北八幡神社の2点中1点には茶色(栗毛か鹿毛か)の馬が描かれている。土着的には農耕において、晴雨の祈願に白馬・黒馬を奉納するのが通例であったらしい(前掲『絵馬集(1)』)が、大正以後は農業と分離した娯楽(スポーツ)用の馬が題材になったのであろうか。

A祈願
 元来絵馬は、神仏に祈願のため、また感謝報恩のために捧げる物であるから、他の項目の絵も全部この項に含まれるのであるが、ここでは、直接お参りを表現した絵の描かれた絵馬のみを扱うこととする。
 この種の絵馬には、年月も無く、名前も書かずに「○年女」のように記載されている物が多い。その上、小絵馬と呼ばれて50センチ以下の小形で、しかも絵も自分で描いたのか幼稚なものが多い。奉納数は沢山あったのだろうが、現在残っているものは34点に過ぎない。祈願の絵馬でも神宮参拝記念のものは大きく、年記もあり人の名も記入されている。先にこれを拾い出してみると、広島町の広島神社に伊勢神宮参詣の図が2点あり、1点は5人、1点は14人の姿が描かれている。広島八幡神社にも3点の参宮絵馬と思われる絵馬があり、全員の名が記入されている。本島町の木烏神社にも2点の伊勢参宮記念と解される絵馬があり、2点とも1メートル以上の大きい物である。
 又、同町の四社神社には、男ばかり7人の名が記入された参宮記念の絵馬が奉納されている。これは明治7年のもので、横191センチ、縦105センチと大きい。土器町の田潮八幡神社には文久4年(1864)5人の商店主が1人の小僧を連れて八幡宮に参詣する横長106センチの絵馬がある(これには姓名は無く卯歳・辰歳・酉歳・子歳・巳歳とある)。同神社に明治11年林正平が奉納した「祈る図」芳寅筆の絵(横長87センチ)と、拝殿の外に、絵が殆ど剥落した明治29年の絵馬(横長140センチ)がある。
 祈る「小絵馬」の保存されている神社は、金倉町の八十主神社(10点)、郡家町神野神社(2点)、津森天神社(3点)、土器町田潮八幡神社(1点)、広島町の賀茂神社(1点)、同町塩竃神社(4点)、本島町木烏神社(1点)、同三社神社(1点)であった。

B故事・昔話
 故事・昔話に基づいて作られた絵馬には、日本の話が多いが、中には中国の話を題材にしたものもある。牛若丸(9点)・常磐御前・静御前・源為朝・那須与一・後三年役・源氏の白旗・宇治川の先陣争い・巴御前など源氏関係の物が多く、次いで、桜井の別れ(4点)・千早城・加藤清正(4点)・神功皇后(4点)・菅原道真(3点)・新田義貞(2点)・天の岩戸(2点)・寿老人(3点)・七福神(2点)・恵比寿大黒(3点)・浦島太郎・川中島の戦い・橋の上の日吉丸・山中鹿之助・金太郎・岩見重太郎・六歌仙
・太田道灌・八岐の大蛇・天慶の乱・富士の夜討ち・楽の伝授・土蜘蛛退治とともに、鐘馗・桃園の誓い・十牛図・韓信の股潜り・西王母・蘭陵王 (2点)の絵がある。
 丸亀人として、特に喜ばしかったのは、賀茂神社の 「宇治川の先陣争い」の絵馬で、当然の事ではあるが、佐々木高綱の馬印に平四ツ目の紋が描かれていたことであった。

C船絵馬
  「船絵馬」は専ら島嶼部の神社に奉納されているが、山北八幡神社に、県の有形民俗文化財に指定されている「京極侯参勤交代御船揃絵馬」が安政4年(1857)和気良造忠澄によって奉納されている。絵師は浪華の芳梅である。丸亀城をバックに、御座船泰平丸を中心として、萬年丸・灘吉丸・白駒丸・日吉丸・住吉丸・凌波丸・出来丸・浪行丸・敬進丸・先進丸・類麒丸・鴈行丸・飛鳥丸・幸善丸・小鷹丸・麒麟丸が描かれている。
 船絵馬は「海難絵馬」もあわせて26点あるが、前述した1点が陸地部にあり、残り25点は島嶼部にある。即ち、本島町では、四社神社に2点(明治16年・1点は年号不明)あり、広島町では、広島神社に6点 (明治6・15・16・10・14・10年のすべてが瀬戸内海歴史民俗資料館蔵となっている)、塩竃神社に7点(天明6・寛政9・12・明治12・天明期・天明期・天明期)、八幡神社に6点(文久3・文政3・11・文久3・不明・不明)あり、手島町の東照神社が4点(享和元・3点は年不明)保有している。
 しかし、現在広島神社と塩竃神社・八幡神社の絵馬は、1、2を除いて、瀬戸内海歴史民俗資料館と市の資料館に保管されているので、島にはない。なお、瀬戸内海歴史民俗資料館の『瀬戸内の海上信仰調査報告」に、丸亀の絵馬では四社神社・広島八幡神社・塩竃神社・広島神社・手島東照神社・山北八幡神社の26点が紹介されている。
 絵ではないが、船に関したもので、軍艦の写真が伊勢神社と四社神社・塩竃神社・束照神社・清水神社に各1点あり、東照神社に張出しの船があり、中津町の八幡神社には台湾の舟の小さな模型がある。

D生物・風景
  「生物・風景画」は、24点あり、鶏・獅子・鹿・達磨・人物・梅・城・川・橋・家・香川用水等を描いた絵が奉納されており、半数以上は本人の作品であり、人物以外は大正・昭和時代の作である。飯野・川西・郡家・土器・津森・天満・広島の神社に見られた。

Eその他
  「その他」に戦争の絵が8点・武術1点・火事2点・芝居絵6点・祭礼御旅の図1点・日光宮図1点・不明の物4点がある。以前は戦争の絵馬も多くあった様であるが、敗戦の占頷下で処分されたそうである。飯野町の青山神社には、「日露戦役従軍記念・明治39年4月1日」と書かれた絵馬の枠だけが残っている。

(6)絵馬の画家
  画家の名が明らかな絵について、大正時代以前の画家毎の点数を見ると、大西雪渓(文久・明治時代・8点)、甫雪(明治時代・8点)、高畑一渓(大正時代・2点)、一勇斎芳寅(明治時代・2点)、吉本善京(文久・2点)、以下1点ずつ、高夕(文化)、玉鴨(天保)、蘭玉(弘化)、杉本清舟・玉生(嘉永)、芳梅(安政)、沙邨・小琴・畑尾茶庵・富田観星・歌山・華村・藤原光芳・雪斎芳雪・藤原光親・柳■牧・琴水・松窓(2点)〈以上明治時代〉、三井飯山・松眠・巌渓(2点)〈以上大正時代〉の名がみられた。
昭和になってからは、昿園横山樵・村井憲雄・邨仙・白石重忠・小野霞峰・栄信・美雄・勝太郎・紫峰・美馬正昭・横井八笑・石井照夫(2点)・横井南邨(2点)・細川昿(2点)・中久保長太郎(2点)・尾崎秀南(4点)・鳳柳らの名がみえた。

(7)絵馬の書家
 絵馬の中には、絵でなく書を奉納したものもある。本調査では、字だけの額が42点あったが、そのなかで「神号」の書かれた物が22点あった。
 川西町の春日神社には、藤田民治書、矢野秀徳刻の芸術的にも貴重な額がある。また、山北八幡神社には、文化3年九歳京極高正(後の高朗ヵ)が奉納した「八幡宮」の額もある。
神号以外では、藤田讃陽の「和敬」 (川西町春日神社)、元香川県知事金子正則の「敬神」(飯野町吉岡神社)が有名人の額であった。
 数が多いのは蓬春で、飯野町の板屋神社と川西町春日神社に「崇敬」、飯神社に「至誠」、春日神社に「先神事」の4点を奉納している。次いで、藤本正樹の2点があるが、他は1点ずつである。その中に由緒書(土居町高木神社)と伝百々手の記録(中津町八幡神社、中身は読み取れない)があるが、その他は敬神崇神を意味する字句である。

(8)俳句額
 俳句の額は13点で、飯神社2点(昭和・平成)、川西天神社1点(明治)、津森天神社2点(万延・明治)、田潮八幡神社4点(嘉永2・明治・大正)、広島町厳島神社4点(明治2・不明2)となっており、一搨・雨水・五蕉・惺庵・木長・鵲巣庵らの名が撰者として見える。
 俳句ではないが、田潮八幡神社に六歌仙の額がある(故事・昔話の項に入れた)。天保4年奉献とあり法橋片山週巌叟が描いた縦百糎のもので、六歌仙の絵馬は市内では珍しい。

おわりに
 平成7年度末から8年度初めにかけて調査した絵馬について、簡単な分析を試みたが、剥落で不鮮明になったり、筆者の勉強不足で説明に窮するものもあった。
又、今回は写真撮影のみに意を用い、調査が不十分で特に奉納者名は一部しか記録していないので省いた。今後、神社以外の絵馬(例えば手島極楽寺の馬絵馬・本島木烏神社内大師堂の舟絵馬等)が合されて、丸亀市域の絵馬の集大成の出来ることを願って筆を擱く。
 最後に調査の許可並びに指導頂いた、各神社の宮司さんや神社総代の方々及び、調査に協力してくれた西川文雄氏に謝意を表する。
                      
歴史博物館資料調査員・堀家守彦